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動機について。

2006年8月11日

会社設立の動機についてだらだらと・・・。
「何やっても学生だからと言われてたけど、やっと、学生じゃなくなった!なんでも自由にできる!やったー」と卒業した時に口走ってたらしいので、遅かれ早かれこの道に来てたのかな・・・と思う。

学生のとき必死になってやってた活動が根底にあって、その未消化になってたものが今、製作進行中の「おとまち」やその周りの関連企画のものだったりする。あの頃自分がやろうとしてた事は、今も解決していないし、明確な答えがあるわけではないので、表にでてくる形はそれぞれ違ってくるかもしれないけれど、一生続くんじゃないかと思う。
ただ基本アホだから、やってみないと気がすまないし面白くない。
会社で働くことを前提でいると、多分、こんなことを許してくれる所はそうそうないし、そんな幸運な出会いを待っていても、世の中そんなに上手くまわっていない。
結局は、そうなるように自分で仕向けていかなければならず、自分で動くしかない。

自分の置かれてた状況もあると思う。いきなり独立ではなくて、そうしないと生きていけない状況があったわけです。
法人化は結果論で、所謂、夢と希望を持って独立した起業家と違う点。
東京のデザイン事務所を辞めたとき、自分にはスキルもお金も、精神力もなかった。
2ヶ月、収入なく途方にくれた。親からは呆れられた。結婚を前提に一緒に上京した彼女もつらい状況だったと思う。彼女の親には何も言えなかった。
そんな状態でも日々の徴収はやってくるし、貯金もわずかしか残っていない状態になる。2ヶ月経っても転職先は見つからない(ただでさえスキルない上に、不幸人オーラを漂わせた写真付きで履歴書送られてもね・・・。)

東京に仕事のつてもなく、誰にも頼れない状態が続いた。
最後の手段で、残りの貯金を使ってインターネットをつないで、ホームページを作った。
しばらくして、幸運にも仕事くれる人がいた。
助けてくれる人がいた。
助言をしてくれる人がいた。
ひとまずバイトも決まった。

それが2年続き、3年続き、だんだんと色々な人に頼ってもらえるようになった。
頼ってもらえるようになると、自分でも驚くくらいに、色々なものを調べるようになったし、どうやったら上手くいくだろう・・・と考えるようになった。
気が付いたら、自分で仕事を作っていく面白さ、プロジェクトに関わって仕事を進める楽しさの中に自分がいて、どこかで働こうかと考えなくなっていた。

環境の変化ということもあると思う。
個人でやっていると多分、現在の仕事以上のものは望めない。
例えば一緒に働いたとして、「軽作業しかできない未来」に魅力を感じるか?というところ。私自身もそれを望んでいないし、今以上の仕事ができない環境だと面白くない。
そうなった時に、タイミング的にも今しかないかな・・・、と思ったわけです。

会社にした理由を簡単に話すのは難しけれど、人を巻き込んで何かを作ろうとしたとき、会社という器があるとないとでは随分違うことが分かったということ。それは人ではなく社会の仕組みと大人の事情。
あとは、人を巻き込んでしまった責任と決意表明みたいなものかもしれない。
いづれにせよ、器は作ったわけで、これから必死こいて働け!ということです。

なにはともあれ、全員が、やりたいことをやれる(もちろんあがりがないとだめですが・・・)会社を目指したいわけでございますよ。でも、やりたいことがやれるって難しいんだよね。
・・・というと、社会的意義は?なんてことを言う人がいますけど、私自身、そもそも世界を巻き込んだ壮大なる思想なんてものなんてありません。

ただ人を巻き込んだ時点で、それは意味のあることで、私はその個人レベルではじまった小さな意味ある事(本当に個人的意識の範囲内でもいいんです)の積み重ねがこの会社にとっての唯一の社会意義かなと思っています。(お、かっこいいね~。)
だから、基本やりたいことを、やる。それができる会社を目指したいと思う。
そして、仕事を進める人たちを大切に、小さなことからコツコツとです。

長くなりましたが、以上創立者のお言葉ですた。

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